2017年7月22日土曜日

h29-12 足利学校、唐沢山城

h29-7-17 足利学校、唐沢山城

前日の長野県は川中島から、今日は栃木県佐野市の唐沢山城に移動です。

まず、途中下車して足利学校を見学してきました。
足利市は初めてですが、着いてまずビックリ。
一帯が日当たりのよい南向きの緩やかな斜面で、正面に渡良瀬川がゆったりと流れており天然の堀を形成。
当時は第一級の穀倉地帯で、鎌倉武士の中で足利氏の力は抜きんでていたのでしょうね。
ワンチャンで鎌倉幕府を倒せる財力は有ったのでしょう。


足利学校です。
学校、の2字はここが発祥のようです。
入校証をゲットです。
オカーチャンも、浦安のネズミ城に行ってないで、少しお勉強しようか(笑)。
やーだーよ。
校内に関東管領、上杉憲実公の像がありました。
足利学校を再興した人、とあります。
この人、生前は室町幕府の暴虐なくじ引き将軍、足利義教と、これまたKYの鎌倉公方で室町将軍に返り咲きたい足利持氏の間に挟まれて、ものすごく苦労するんですね。

当時の関東管領といえば、領地の広さも武力も財力も他を圧倒して強大です。
その気になればお飾りの公方を廃して関東に覇を唱えることが出来たのに。
彼にはそのような野心はなく、後世に足利学校を遺して苦悩の中に一生を終えるんですね。
腕っぷしが強いだけで相手を騙してナンボの、人でなしだらけの戦国武将の中にあって異色の人徳者です。


次に、足利学校から渡良瀬川沿いに走って、佐野氏の居城、唐沢山城です。

標高は100メートル位かな。
暑い中車を一番下に置き山道を登りました。
佐野氏は藤原秀郷の子孫を称し平安時代から続く名家とされています。
戦国時代、唐沢山城は関東越山の上杉謙信と、迎え撃つ小田原の北条氏のどちらからも最前線の要衝となってしまい、両者に平身低頭、強大な両陣営に翻弄され続けるんですね。
この辺の話は伊藤潤氏の小説に面白おかしく、ときに悲しく書かれています。
当日は37℃の猛暑というかとんでもない酷暑。
山頂レストランのかき氷が旨かった。
山頂、本丸の石垣です。
虎口です。
山頂付近からの眺め。
遠く赤城山が見えます。







この唐沢山城。
立地が良すぎて関東一円が俯瞰できるため、徳川幕府に警戒されて結局は廃城です(悲)。

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