2017年5月10日水曜日

h29-5 高天神城、二俣城、長篠城

h29-5-3 高天神城跡 標高132メートル です。

連休中はどこもかしこも大混雑なのに、ガラッガラッ(やったー)。
私たちと同じように数組のカップルが見学に来ていました。歴史オタクのおっとさんに奥さんがしぶしぶ付き添っている感じ(うちとソックリ、笑)。
しっかり歩け、覚悟が足らん!と おとっさんの声が聞こえます(怖エ~、笑)。

高天神城を制する者は遠州(今の静岡県の西半分)を制すと言われ、戦国末期、徳川vs武田で壮絶な争奪戦が繰り広げられました。

信玄の死後、息子の勝頼が家康から奪ったときが、武田勝頼の絶頂期。
オヤジの落とせなかった城を俺様が落としたぜー。
しかしその数年後、信長、家康の連合軍に長篠の3000丁の鉄砲で武田軍が壊滅的な打撃を受けると、再び高天神城は家康に奪い返されます。
それに抵抗する力が武田方には残っていません。
勝頼は高天神城に後詰めが出来ず、城兵は見殺しにされ、その1年後、戦国最強の軍団を誇った武田家も、最後は信長にあっけなく瞬殺されてしまいました(合掌)。

絵図を見ると、高天神城は東峰と西峰に分かれているようです。

追手門から入りました。
東峰の御前曲輪跡です。
御前曲輪からの下界です。
東峰の本丸跡です。
本丸跡から降りてきて、東峰西峰の鞍部、井戸曲輪から西峰の西の丸を見上げています。
西の丸には神社が鎮座しています。
西の丸から太平洋側の展望。
西の丸から鞍部の井戸曲輪方向。

急斜面です。
東峰に戻って最後は三の丸です。
三の丸からの展望。
帰りは御前崎までいってきました。
高台に登って東側に御前崎灯台。
西側に夕日です。








h29-5-4は 遠州二俣城跡、長篠城跡、野田城跡です。


翌朝、宿から間近に掛川城がみえました。
地元も観光に力を入れておるので、寄ってみようかと思いましたが、当初の予定通りスルーとしました。整備されて立派な天守閣を持つ城にあまり萌えないので。
昨日の高天神城と、これから行く二俣城、長篠城、野田城の位置的関係です。
天竜浜名湖鉄道の線路沿いに道路も敷かれています。

なんとも長閑な風景。
昔はお米がたくさん採れて豊かだったんでしょう。
山国甲斐の信玄坊主はこういう地域が欲しかったんでしょうね。
途中の敷地駅(無人)です。


二俣城に到着。

復元図では天竜川と二俣川に囲まれており、ここも難攻不落の堅城ですね。
信玄はここ二俣城を落した後、浜松城に殺到。

浜松城の郊外、三方が原台地に家康、織田軍を誘い出して完勝したのが有名な三方が原の戦い。
家康は戦場から逃げるとき、恐怖で脱糞したとの話が残っておりますね。

この山城の標高は80メートルくらい。
さあ、登りましょ。
途中、天竜川がきれいですね。

ほかの川と色が違いますね。
ここは左手の北曲輪と右手本丸の境。

しっかり堀切りがされています(萌ェ~)。
本丸跡の天守台です。
天守台から降りていくと堀切り跡が。

ここも萌え~。
天竜川沿いに旧二俣川対岸の、鳥羽山城跡に行きます。
鳥羽山城登り口から振り返るとこんな感じ。

昔の二俣川は埋め立てられています。
鳥羽山城跡も標高は80メートルくらいの小山です。
本丸跡は地元の公園になっています。
本丸跡から眼下に遠州鉄道と天竜川です。









次に奥三河を東から西に向かって走り、有名な鉄砲3000丁の長篠城にやってきました。

奥三河の山間部のドライブも萌えたなー。
伊豆と違って急峻な地形でないところがいいです。
まずは長篠城の北側、武田勝頼の本陣跡の医王寺から。

医王寺は長篠城より標高が高いです。
医王寺よりさらに高く、寺背面の物見やぐらまで登ります。

ここから、眼下に長篠城を望めます。
実際はこんな感じ。

小説家伊藤潤氏の説では、ここからは敵の城内が丸見えで、勝頼が長篠を落せなかったはずがない。

織田、徳川連合と決戦しようとわざと落とさずに待っていたのでは、と述べています。

いずれにしても勝頼はミイラとりのハズが自分がミイラになってしまったんですね(涙)。
医王寺から長篠城に下りてきました。

長篠城の城内です。
観光客も多いし、城自体が観光地化していてどうも萌えませんな。
すぐ脇を飯田線が走っています。
次に両軍の決戦場、設楽が原に移動しました。

織田、徳川の3000丁の鉄砲兵も即席の農民兵だったらしいし、武田軍の猛突進は恐怖だったんではないですか。

ここも地元の人たちが史跡を守ってくれております。


最後は野田城。いよいよマイナーな城です

話が前後しますが、長篠合戦の数年前、存命の武田信玄が三方が原で家康に大勝したあと、最後に攻めとった小城です。
低地にあり、周囲が沼地に囲まれています。
信玄自体も余命僅かの虫の息で、意外と攻めあんだようです。
信玄終焉の地でもありますね。

城跡の見学者は私ら二人以外に、おっさんがひとり。
どうやら地元の人たちもこの城跡は無関心のようで、史跡として盛り上げようとの意欲もなし。(高齢化でしょうがないか。。。)
おかげで道標が少なく、このひっそりと建っている看板の前までたどり着くのにグルグルと迷いました。

看板の脇に入口があり、本丸あたりをぐるっと1周して戻ってきました。
曲輪跡に鄙びた神社がありました。

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