2017年5月29日月曜日

h29-7 真里谷城、久留里城

h29-5-28 真里谷城、久留里城

20年前に読んだ司馬遼太郎の小説「箱根の坂」では、北条早雲が最大のヒーローで、早雲が戦国時代の幕を開けたとされております。当時は必死に読んだんですが、その割にはさっぱり解らんかった。
1年前に伊東潤氏の長尾景春の乱を読んでから、再び興味をもちまして、
およそ1年間、暇を見つけては、hosakawa氏のブログを中心に超マイナーな関東戦国史を繰り返し読んではお勉強して、今日はその現場研修であります。

まずは1年間のお勉強の成果? 関東の戦国史をさらっと。

関東の戦国史は、戦国初期の北条早雲による相模の名門、三浦氏の滅亡(1516)と、戦国末期の徳川家の関東移封(1590)の2点を抑えておけば学校のテストでは及第点なんですが、応仁の乱(1467)よりさらに50年昔の上杉禅秀の乱(1416)から関東では下剋上の嵐が起きておりました。

禅秀の乱は一旦収束しますが、その後、室町将軍家+山内上杉 vs 鎌倉公方足利持氏の永享の乱(1438年~)、古河公方 足利成氏 vs 山内+扇谷上杉の享徳の乱(1455年~)、山内vs扇谷の長享の乱(1487年~)と続き、その間に結城合戦(1440年~)、長尾景春の乱(1476年~)が絡んできます。

登場人物も多士済々で、公方の古河公方、堀越公方、小弓公方。関東管領の山内上杉、相模守護の扇谷上杉氏。またそれぞれの家宰の長尾氏、太田氏。そして佐竹氏、里見氏、小田氏、相模の大森氏、三浦半島の三浦道寸、などなど、複雑に絡み合ってきます。当時の地理や地形(特に利根川)もアタマに入れて読み進まないと混乱に拍車がかかります。

マイナーなのに外せない武将が多く、前後左右の人間関係が複雑過ぎてなかなか覚えられず、ある程度解るまでにほぼ1年かかってしまいました。(アタマ悪すぎ)。

でも、最後は関東のほとんどが、伊豆から相模に侵攻した北条早雲とその子孫に制覇されてしまうんですけどね。その北条氏も豊臣秀吉にアポ-ンされて(涙)。

大都市東京の23区も、かつては関東の戦乱と無縁ではなくて、うちの住まいの近くでいえば、豊島氏兄弟の石神井城、練馬城なんかも戦乱に巻き込まれました。
扇谷上杉氏の家宰、名将太田道灌に兄弟そろってコテンパンにやられてアポーンしちゃいましたど。(沼袋、江古田原の戦、1477年)
今でも当時の地名がそのまま残っていてうれしい限り。
ダメだよ、○○ヶ丘や△△学園みたいな地名じゃ。

以上、関東戦国史をまとめてみましたが、ちっともまとまってねーよ。
(詳しくはhosokawa氏のブログでどうぞ。)


前置きが長くなりましたが、本日の現場研修リポート、まずは真里谷城(まりやつじょう)。
木更津市の山の中にあり、標高は70メートルくらいです。


享徳の乱は、元の鎌倉公方で古河公方こと足利成氏が、山内上杉氏と争い、負けて鎌倉府を追い出されて利根川を渡り、古河の地で抵抗運動をしていた戦乱をいいます。

乱の最中、足利成氏は山内上杉氏の飛び地、房総半島に目を付けまして配下の二人を房総に送り込みます。

そのひとりが武田信長。

甲斐の武田信玄ではなくて、武田信長。
本能寺の織田信長ではなくて、武田信長。
なんか笑えない?
ちっとも笑えない(ウチのカミさん)。

最初は冗談かと思いましたが、実在の人物で上総(かずさ)に根をはり上総武田家の祖となります。
ちなみに甲斐の地で生き残った武田信長の兄(信重)の子孫が、有名な武田信玄につながっていきます。

甲斐の他にも房総に武田氏がいたなんて、
なんか嬉しくない?
ちっとも嬉しくない(カミさん)。


武田信長の4代後の信保の頃が、古河公方から分かれた小弓公方を担いで上総武田家の最盛期だったようで、ここ真里谷城が武田家の根城でありました。
結局、次の代で兄弟喧嘩(もちろん当時は殺し合い)が元で北条氏に攻め取られちゃったんですね。
小弓公方も戦死しました。
城跡からの遠景です。
お城は木更津市営キャンプ場として再デビューしています。
が、そのキャンプ場も現在は取り壊され完全に廃墟となっているようです。
駐車場にもゲートが敷かれ車が入ることができませんでした。これで真里谷城も自然に帰るんですね。

真里谷城の地元の駅です。

JR久留里線が走っています。
駅前の真里谷城の案内板。
無人のホームに立つと、列車の音が聞こえてきます。
1両編成のディーゼル車が入ってきました。

のどかな風景にマッチしたローカル線でありますな。

ボクは鉄オタではないけど、
なんか萌えない?
ちっとも萌えない(カミさん)。
次の研修場所は標高145メートルの久留里城です。

房総半島のど真ん中にあります。

古河公方が房総に送り込んだもう一人が、やはりマイナーな武将の里見氏。彼は房総半島の先端、安房の国に送り込まれます。

安房に根を張った里見氏ですが、何代か後に里見義堯(さとみ よしたか)という武将が分家筋に現れて、本家を皆殺し、がお約束。

しかし里見義堯は相当有能だったようで、里見家の新たな当主に収まると、東京湾を挟んで対岸の北条氏と抗争を繰り広げながら里見家の領土を最大にします。そのころの根城がこの久留里城。

地元では、里見義堯ではなくて、新井白石の生誕の地で売り込んでいますが、、それも当然か。

山頂の天守閣です。
尾根筋には堀切の跡も明瞭に残っていて、にわか廃城オタにはよかったですね。

房総半島に覇を唱えた里見氏も、戦国の末期は元の安房一国に抑え込まれて、さびしく江戸時代を迎え最後は改易をくらいお家断絶です。



上総武田氏も里見氏も、まるで平家物語みたいだねえ。
悲しすぎて、なんか萌えない?
ちっとも萌えない(カミさん)。

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